新舞鶴名勝絵葉書

多くの絵葉書は単体ではなくセットで刊行された。揃いを入手できたもののひとつ、「新舞鶴名勝絵葉書」と題するシリーズを紹介する。
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おなじみの三條通。2012年1日10日に紹介した絵葉書とは別の絵柄。

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七条通。三條とならぶ南北方向の目抜き街であった。
 
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舞鶴駅(現東舞鶴駅) 駅の北側の広場
  
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萬代橋及警察署

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敷島通より日宗会館を望む 正面が西の方角。敷島通は八島通の一本南、同じく軍艦名を冠する通りである。

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白糸濱神社 新舞鶴市街の東、与保呂河畔に鎮座する新舞鶴町の氏神

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龍宮新地 他のスポットは絵葉書シリーズ刊行のつど、同じスポットであっても撮影し直して印刷するのが普通なのだが、龍宮新地の場合は2007年10月26日に紹介した二種類のカット以外のものを未だ入手できていない。この写真も、さきに紹介した彩色絵柄のモノクロバージョンで、もとは同じ写真である。「新地」をたびたび撮影することに、支障やためらいがあったのであろうか。
(以下、2007年10月26日付当ブログ記事より引用)
舞鶴(現東舞鶴)には、軍港らしく、かつては遊郭があった。市街地の東の端、志楽川にかかる龍宮橋を越えた山際の、水郷のような一角がそれである。明治44年刊行の『新舞鶴案内記』によれば、明治34年舞鶴鎮守府開設と同じ年に開業している。「例月軍人職工の給料支給後数日間は最も殷賑を極む、廓西盡頭に一小祠あり俗に龍宮祠と稱す、龍宮新地の名之に出づ」(同書より)

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愛宕山忠魂碑 この山は通常は四面山と呼ばれている。愛宕社があったので、「愛宕山」とも称したのであろうか。西舞鶴にも同名の山があるので、まぎらわしいのではないかと余計な心配をしてしまう。

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下士卒家族共励会

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艦隊入港

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白糸橋より大門通を望む 2012年1月10日に紹介したのと同じカットの別写真。

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舞鶴全景 これも2012年1月10日に類似したカットの絵葉書を紹介した。地形を隠すためか、やはり大浦半島の山並みは雲に覆われた絵柄となっている。